雑走(草)系女子がおくる、海外サバイブログ。

harubohのプロフィール<長編>

 

こんにちは、はるぼーです。

海外移住だの特許翻訳だの起業だの、記事をいろいろ書いていますが、そもそもどんな経緯で今に至るのかと聞かれるといつも簡潔に話せず…

 

なので、一度振り返ってみようと長編プロフィールを書くことにしました。

なんか目を引くすっごい人生を歩んだわけではないですが、それなりに変なルートを辿りながら今に至るのでw

まぁ、こんな人もいるんだなって感じで読んでいただけると幸せます。

 

 

簡単プロフィール(サックリまとめ)

harubohと書いてはるぼーと読む

 

外国人に言っても誰一人「あぁ知ってる!」という反応が得られたことはなく、日本人に言っても「あー、通り過ぎたことなら…」という反応しか得られたことのないような都市出身。昭和の末頃に生まれたアラサーの女です。

 

日本の社会やメンタリティに「?」と思うことが多く、海外で生活してみたいなぁと日本を飛び出しました。住んだことがある国はイギリス、ドイツ、スイス。現在の所在はドイツですが、ちょくちょくスイスにも行っています。ドイツ人の彼ポメス氏(通称)と中距離恋愛中。ドイツはベルリンで事業をもっています。

 

ブログでは、海外生活に関する情報などを主にシェアしていきます。

主にツイッターに生息しているので、お気軽にフォローミー♪

@zasso_haruboh

 

 

 

具体的なプロフィール

 

幼少期

 

ひたすら病弱

待望の第一子(はるぼー)は、生まれて間もなく重度の「小児ぜんそく」と「アトピー性皮膚炎」と診断される。

常にワセリンでべとべとしてて、ゼィゼィヒューヒュー言ってる子どもでした。

 

少し走ればぜんそく発作が起き、少しテンション上がればぜんそく発作が起き、泣くと体温が上がりかゆみだし+呼吸が乱れてぜんそく発作が起き、夏は汗で、冬は乾燥でかゆみだす。

風が吹いただけでも刺激となる、超絶センシティブな子ども。

 

食物アレルギーもあったため油ものなど食事制限があり、ポテチやチョコなどお菓子全般は食べられない。

おやつはおにぎりや芋w良くて、飴とかかな。

ぜんそくやアレルギーが出るので、動物ともずっと戯れることすらできなかった。(動物大好きだったのに)

家には病院にあるような、水蒸気がもくもくと出る吸入器がありました。

 

夜間にぜんそく発作が起き、吸入器だけでは治らずに救急外来に車を飛ばすことも茶飯事。

途中スピード違反でパトカーに止められるも「娘が緊急事態なんで!」と逆にパトカーに先導させて病院へかけつけたこともあるスーパーヒーロー&ヒロインな両親を持つ。

入退院を繰り返していたので、すっかり小児科病棟の看護婦さんたちにも覚えられ「あら、おかえりw」と言われるほどのホーム感に。

 

「果たして子供らしい幼少期を過ごせたのだろうか」と思うと、子供らしく飛んだり跳ねたりして好きなおやつを食べれるような、一般的な幼少期ではなかったことは確かだけど。(おやつはおにぎりとかだったけど、お友達の家に遊びに行くようになるまではそれが普通だと思ってたよねw)

 

入院すると、点滴につながれてずっとベッドで過ごすので必然的に本を読んだり絵を描いたりすることが主な活動となり、常にベッドで本に埋もれてゴロゴロしていました。

字も早くから読めるようになり、色んな本を読むことで漢字も学校で習わずとも覚えられたので、この点は満足してる。

 

とにかく、ずっと病弱で病院にいたことしか記憶にない幼少期でした。

 

 

個性は強い

身体とは逆に個性は強く、物心ついたころからスカートや女の子らしいものを嫌い周りを困惑させる。

しまいには「ちゃん」づけすら毛嫌い、親戚などからちゃんづけで呼ばれると名前だけで呼ぶように怒る、かわいくない子どもでしたw

親曰く、怒られても泣かずに下から睨みあげるから、余計怒りを増殖させたとのこと。我ながら、なんて子だ…

 

ディズニーのシンデレラや白雪姫を観ても、プリンセスより魔法使いになりたいと思っていた幼少期。(魔法が使えるとか何でもできて最強じゃん!って思ってたw)

 

ピンクや赤色よりも青色が好きで、幼稚園の上履きの色も断固として青色。他の女の子はみんな赤色だったので、母が少し心配したのか私の好きなうさぎのイラストを名前の横にちょこんと描いてくれていた。

幼稚園でうさぎをピンク色で塗る子が許せなくて、「うさぎは茶色とか灰色なんだ!」って人のファンタジーを許せない、これまたかわいげのない子どもっぷりを発揮w

おままごとでは、みんなが「私お母さん役!」「私はお姉さん!」と言う中、「私はうさぎになる!」と勝手にうさぎを飼う設定をねじこむほどの、うさぎ大好き野郎でした。(ぴょんぴょん動いてニンジンとかもらうだけの謎なポジション)

 

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はるぼー

一応言っておくけど、うさぎの耳だよ。

 

 

映画好き

思えば小さい頃から映画好きの両親と一緒に、ホームシアターで色んな洋画を観た。字は割と早い段階で読めていたので、映画は日本語字幕で観て内容はなんとなく理解していたのだと思う。

それもあって、小さい頃の夢は「ジェダイ」w(そこも、決してクレア姫ではない)

ただ幼稚園の先生が理解してくれなかったので、幼稚園での将来の夢は「おかしやさん」ということにしていた。(なぜか大人な対応)

 

ちなみに昔から、洋画や海外ドラマはオリジナルの音声を聞いて日本語字幕で観る派だったけど、海外に住み始めてからは英語字幕で観ることが主になった。これを始めてから英語リスニング力があがったって自覚したから、リスニング練習にも英語字幕はおすすめ!

 

 

 

小学校

 

ひたすら個性は強い

今の時代のようにカラフルなランドセルもなく、黒と赤の時代w

もちろん「赤じゃなくて黒が良い!」と主張するも、さすがにそれは…と却下される。

黒にしてたらきっといじめられたりしたと思うので、私の個性の暴走をほどほどにおさえてくれた親には感謝してますw

 

 

相変わらず病弱

小学校に上がるも、ぜんそくで学校を休みがちな日々。

それでも友達には恵まれ、小学校1年で出会い未だに日本で会うことのある友達もいます。

 

とにかく入退院を繰り返していたので、校内で「病弱な子」といえば、と挙げられる数名には必ずランクインするくらい。

 

ぜんそく発作がでている時は、とにかく呼吸がしづらくて食べるも寝るもままならない。発作がでている時は、本当に何もできずに呼吸に集中することしかできなくなる。今まで楽しく遊んでいても、そんな気持ちが一瞬でかき消されてしまう。

 

そんなこんなで学校は休みまくり、退院して久々に学校に行くも授業についていけるはずもなくボーっと過ごして給食を食べて友達と喋るだけの日々を過ごしていました。

体育はほぼ見学、運動会も参加したようなしてないような。遠足の前日はわくわくしすぎて、当日体調悪くなって行けなかったことばかりw

 

 

ぜんそく療養施設

小学校3年生のときに小児科の主治医からすすめられ、ぜんそくの集中療養施設に入院することに。

施設は県外(車で5時間w)だったので、親元を離れて療養施設で暮らすことに。もちろん断固として反対したが、強制収容w

 

しかしながら子どもって本当に柔軟性のある生き物で、入院後1ヶ月もしたら友達もできてすっかりとなじんでました。退院する時は、みんなと離れるのが嫌でめちゃくちゃ泣きました。

今も繋がってる友達もいて、日本に帰るときに会ったりもしています。※施設は現在、残念ながら閉所しています。

 

小学校3~5年の2年間を施設で過ごしたのち、退院。

施設での鍛錬や指導のおかげもあり、また自然豊かな地でのびのび生活したこともあり、滅多に発作はでなくなっていた。ちなみに施設では毎日水泳が義務付けられていたので、入所時は5mの「けのび(オビワンじゃないよ)」しかできなかった私が最終的に海で足のつかない中、2kmの遠泳を達成しましたw

 

が、退院して地元に戻り元の生活を始めると、環境の変化からかまた発作が再発するように。

また、思春期で周りが気になる時期。休みが長くなると学校に行きづらくなり、次第に発作がひどくなくても何かにつけて休むようになっていきました。

 

 

不登校

ある時、休んで家にいると担任が訪れ「クラスのみんなからの色紙」とやらを渡された。入院しているわけでもないのに、なんで?と思って読むと

「早く学校に来てね!」「学校は楽しいよ!」「みんな待ってるよ!」と激励の言葉が。

 

そこまで気づかなかったのだけど、私は「病気がちな子」から「不登校の子」になっていました。

個人的には病気で休んでいるつもりだったので、「不登校の子」とされると何か問題のある子と見なされたようでショックだった。

 

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はるぼー

そ、そんなつもりでは…

 

 

 

幸いにもいじめなどもないとっても良いクラスで、学校に行くとおせっかいにもみんなが心配して気にかけてくれた。

本当に純粋な行動だとは思うのだけど、帰りの会で「ほめてあげたい人」という謎のコーナーで

「今日、はるぼーさんが学校に来てくれました。ほめてあげましょう」と皆の前に立たされ拍手されるということもあり

それは目立ちたがりと真逆の性格だった私にとっては、恥ずかしくてしょうがないことだった。

 

そのみんなからの「厚意」は、自分を余計「不登校の子」と認めざるを得なくなった。

通院があって遅刻してった時も、頼むから注目するな!憐れむな!ほっといてくれ!って思ってた。

休んでも、班で交代でお見舞いなんか来てほしくなかった。こっちは寝間着だというのに、本当に勘弁してほしい。

先生にも「よく来たね^^」とか言ってほしくなかった。だって、別に発作がでたからって頑張ってないし、学校に行くことなんか褒められることじゃないって思ってたから。

例えどんなに真っ直ぐで純粋な厚意でも、相手が「いらない」って思ったら本当に無駄なんだなって思う。

とはいえ、「いらない」と言って親や先生を困らせるような勇気もなかった。

 

とにかく特別ではなく、普通になりたかった。

学校に行きたくないわけじゃなかったのに、行ったら勉強についていけないわ目立ってしまうわで、行けなくなってしまった。

勉強が追い付かない私に見かねた担任が補習授業を提案してくれたけど、特別扱いされることがたまらなく嫌でひたすら逃げる。素直でないこの性格のおかげで、輝かしい成績表だったことは一度もないw

 

この時のアイドルはジャッキー・チェンとビートルズ。

もちろん、周りの友達は誰もわかってくれなかったけど、そんなことは別にどうでもよかった。

ジャッキーの嫁になるには中国語を話さないといけないのか、でも英語を喋ってる時もあるから英語さえできれば良いのかとか、そんなことを割と考えていたのでライバルはいない方が良いとか思っていたw

 

 

中学校

 

英語が好き

義務教育のおかげもあり、中学校へ。

中学へ上がる前から英語には興味があり、公文式で既に英語をやっていたおかげで英語の授業は初めから問題無く。

ただ、文法用語を無視して学んでいたので文法用語を使って解説をされるとさっぱりだった。(「三単現のS」って言葉すら知らなかったw)

 

小さい頃から洋画を観ていたので、英語がどういう音かということもなんとなく知っていた。

それなのに、先生や他の生徒が日本語っぽい発音で英語を読むことが不思議でならなかった。私自身今でももちろん完璧とは言えないけど、一人でひそかに発音の練習をしたりしていた。(ビートルズ熱唱)

 

 

韓国へ

中2の頃。応募者のみ、韓国にある姉妹校の生徒との交流ができるプログラムがあった。母がなぜか意気込んで応募し、私は初めての海外、韓国へ飛んだ。

その頃はもちろん英語も喋れず、ほぼ雰囲気で「Yes」とか「No」とか言ってたと思うw

見た目は日本人と似ているけど、言葉も文化も違うんだなーって当たり前のことに感心していた。

あと、箸が重いのにびっくりしたよねw

 

中学3年間のうちで、ぜんそく発作はほとんど出なくなっていた。

中学ではちょっと現実的になり、ポールの妻になるにはちょっと遅い時代に生まれてしまったことを悔やむ。(ジョンよりポール派)

 

 

高校

 

気楽なJK

勉強がダメだった私でも、なんとか補欠すべりこみで公立の女子高に合格。ホントにこういう運だけは良い。

 

体が強くなってきたことで調子に乗って、運動部(武道)に入る。勉強は今までの蓄積がないので、相変わらずヒィヒィと赤点ぎりぎりを漂うも、部活したり友達と遊んだりと呑気な高校生活を過ごす。

 

 

ネットと出会うJK

高校入学祝いにノートパソコンを買ってもらってから、インターネットの世界を知る。何でも検索したら答えがみつかることに超感動w

 

当時はやっていた(?)MSNチャットやヤフーチャットにハマり、チャット友達ができた。

今と比べてまだまだ「インターネットで知り合った人と話すなんてありえない」とか言われてた時代だったけど、顔が見えないだけで自分と同じようななんでもない人たちがいるって知っていたので特に気にせず。

 

むしろ、洋画や洋楽を話せる友達が周りにいなかったので、チャットで同じ趣味の友達を探せることが画期的だった。年齢も性別も関係なく、みんながフラットに純粋に趣味や生活について語れる場。インターネットは私の世界を広げた、と本当に思う。

 

そのうち自分でもチャット部屋を立ち上げたりして、ハッキングとか違法なサイトとかに詳しい人とも仲良くなった。

チャット部屋を荒らし(大量の意味不明な文章でチャットルームを埋め尽くしたりして、他の人の会話を邪魔する迷惑なやつ)から守ってくれたりして、ハッカーにも良いやつがいるんだなって思った。技術も使いようによっては良い方向に行くもんだw

 

 

国際交流するJK

また、海外のチャットルームにも入ってみたりした。

「LOLってなんだよw」って、学校で絶対習わないスラングやネット用語を夢中で学ぶ。そこで初めて海外に友達ができた。日本に興味がある!と言ってくれた韓国人の女の子と、フランス人の男の子。

同年代で英語も勉強中だったので、お互い下手な英語で毎日チャットしたり、手紙やプレゼントを贈り合ったりした。

 

ちなみにこのチャット時代の友達とも、未だに会ったりする末永い付き合いとなった。思えばこの頃から、ネット問わず国籍問わず友達づくりに関してはバリアフリーでした。

 

学校から帰ったらPCのスイッチを入れて、明けても暮れてもネット漬けなJKw

夜遊びや男遊びもせず、おうち大好きだったのでその点では親に心配はかけなかったかなと。

 

 

ロックなJK

お小遣いを貯めて、Green DayやSUM41のライブに行くのがこの頃の趣味。洋楽ロックからパンク、メタル系の音楽にハマっていた。

 

 

大学

 

女子大生デビュー

とにかく英語が好きなだけで生きてきたので、英語をもっと使えるようになりたいと思っていた。

県外は引っ越しから何からお金がかかるから、と親に釘を刺されていたので地元の英文科へ進学。

 

思えば幼少時からの持病のおかげですっかり一家の極つぶしとなっていた私は、お金の話をされると従わざるを得なかったw

ともあれ、貸与型の奨学金を受けて大学へ。

 

大学では今までの病弱キャラで抑えられていた(?)ものが解放され、活発な大学生活を送っていた。

とは言っても、勉強よりバイトの方が一生懸命になってしまい、3つのバイトを掛け持ちして毎日忙しい日々を過ごしていた。(もっと勉強すればよかったと非常に反省しております)

 

 

オーストラリアへ行くJD

在学中に、短期プログラムでオーストラリアへ。これは学部全体のプログラムだったので、行かない人は理由をレポートに書いて提出しないといけないという半ば強制送還イベントだったw

ホームステイをしながら語学学校へ通う3ヶ月。と言っても、学部全体で行ったので語学学校のクラスも学部のクラスメイトの中でレベル分けされたものだった。つまり、クラスメイトは全て日本人で、先生はオーストラリア人…

 

留学って、英語環境の中にぶちこまれてわけわからず切磋琢磨して自分を高めていくサバイバルなんだ…!っていう想像をしていたものの

この環境だと授業中も日本語を喋る人がいたり、中休みも日本人同士でつるむことになり、思っていた「留学」とは違う環境にぶちこまれてしまい複雑な心境だった。

 

みんなは安心した留学で楽しい部分だけを堪能することができたので楽しそうだったけど

本気で留学などを考えている人たち向けではなく、単に大学のイメージアップのための策略じゃないかとさえ思ってしまう企画だった。

 

そこで同じことを思う同志で集まり、学校の時間中は英語だけで話す誓いをかわすことに。

他の同僚たちからは「意識高い系」として遠巻きにされたが、おかげで私たちの大学とは関係のない別のクラスにいた韓国人留学生とも仲良くなり、週末にグループ旅行をしたりして楽しんだ。

その同志の数名は、その後アメリカへ長期留学をしたり、カナダへ移住したりしている頑張り屋さんたち。

 

3ヶ月の短期プログラムはあっという間に終了。やっと英語でしゃべることに少し慣れてきたところなのに、また帰って元の生活に戻るなんて…と号泣しつつももちろん強制送還w ←最後までバスに乗らなかったやつ

センチメンタルな気分にひたりすぎて、空港までのバスでなぜか財布を無くす。チーン

そして、奇跡的にホームステイ先の住所が書かれたメモが入っているのを運転手が見つけ、ステイ先のマザーから連絡があったものの、なぜかその後財布が送られてくることは無かった…そこまでしてくれたのに適当かよw

 

 

就活しないJD

いつかまた絶対オーストラリアに戻る!と思いつつも、夏はめちゃくちゃ暑いと聞いて長期は無理かなと勝手にあきらめるw(暑さに弱い。ちなみに虫にも弱い。オーストラリアの虫、こわい。)

アメリカの長期留学という選択もあったけど、なんせお金がかかる…のでこれも断念。

 

そこで、現地で働きながら生活ができるワーキングホリデーという制度があることを見つける。

これだ!卒業したら、ワーキングホリデーとやらでオーストラリアかカナダへ行こう!

と勝手に決めて、就活はしなかった。

 

大学在学中に、ふと思い立って一人暮らしを始める。祖父が亡くなってからほぼ空き家になっていた祖父の家があったので家賃は無し、光熱費を支払うことで承諾を得る。家族と仲が悪かったとか、そういう理由ではないけど、なんとなく自立した生活をしたくなって始めた。生活費はバイト代で工面。本当に無計画でむちゃくちゃだった。

 

 

就活したJD

大学4年になり、母から就職の心配をされ「ワーキングホリデーという制度で海外に行く」と言うと、「知ってた?卒業後は奨学金返済というローン地獄が待ってるんだよ(にっこり)」と急に現実の海に突き落とされる。

 

無理じゃん、海外とか言ってる場合じゃないじゃん。

とすっかり弱気になった私は仕方なしに就活を始め、運よくこれまた英語が使える人を募集していた地元の企業にあっさりと就職が決まる。結果的に、全く就活をしていない。

 

ちなみにこの頃の情報網では、ワーホリに行く→最初は語学学校に通う→慣れたらバイトを探そう!詳しくはワーホリ説明会に来てね!お金払ったら手配関係も手伝うよ!パッケージはこちら!って感じの情報ばかりだったので、必然的に初期費用がそれなりにかかると思い込んでいた…

 

 

会社員

 

社会人とは

そんなこんなで、新卒で地元の中小企業に入社。

海外に顧客を持つ部署の事務として配属された。書類や電話対応なども英語を使う業務が多かった。もともと英語を使う仕事がしたかったので、仕事内容はそれなりに楽しかった。

 

しかし、日本の昔ながらの中小企業さながらな社風にある意味カルチャーショックを受け、入社3日ぐらいで「早く辞めなければ」と思うようになる。

 

ただ、実家からも通えるのにもかかわらず一人暮らしを継続して、その頃付き合っていた彼氏と同居も始めた(個々の部屋はあったので、シェアフラット的な?)ので転職するにも地元から出るに出れず、貯金もなかなかできずでなんだかんだと会社員生活を続けた。

 

思えばずっと、「いつか海外出る」ってぼんやりと思っていたので、当時の彼氏が結婚を考えていても自分は落ち着くことなんかできなかったんだよね。結果的に同棲・両親へ紹介も済ませていた彼だったがお別れとなった。

 

部署に新入社員が入ってきて、業務が分散化されるかと期待したけど彼は部長&社長お墨付きの未来のエース候補。彼の分の事務作業が増えただけで、仕事に特に変化はなかった。

同じ部署の先輩女性社員を見る度、「数年後の姿」を見ているようだった。まぁ、まさにそうなんだけどw

 

 

OLとは

数年後も同じ場所に座り仕事をつづけ、日々の業務に加え女性社員だからとお茶くみなんかの雑用もさせられる。30歳すぎて独身の女性は、男性社員から陰で「残り物」呼ばわりされていた。

 

先輩の女性社員たちは実家暮らしの割合が高く、昼食の弁当も親に作ってもらっているという人もいた。結婚するのを待っているような感じで、合コンばかり行ってはその内容の愚痴会を女子更衣室でしていた。

 

そして、30代の女性社員たちはなぜか若者をいびるのがお好きなようで、一番若かった私は「スカートが短い」とか「男と住んでる」とかクチクチとよくわからないことを陰で言われていた。(風紀委員かよ)

学生時代には特に陰湿な女の争いごとに巻き込まれたことがなく平和な世界にいたので、社会に出てまでそんな人っているんだ、とこれまた驚いた。

 

 

脱社会人

みんな、「これが社会人というものなんだよ」とあたりまえのような顔をして、裏でぐちぐちと言いながらも表向きは黙って日々を過ごしていた。

 

 

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はるぼー

って、こんな生活じゃ嫌やろw

っと応募したイギリスのワーキングホリデー。昔から、アメリカ映画やロックが好きでありつつもアメリカという国自体にはあまり興味がなく、ヨーロッパの方が断然面白そうだった。

 

ビートルズ愛が根強い私は、イギリスは旅行じゃなくて住まないといけない国だと勝手に決めていた。

 

イギリスワーホリは倍率が高い上に枠が決められているので、誰でもビザがとれるわけではない。また、応募できる期間も決められていて年がら年中応募できるわけではなかった。

ダメ元で応募してみて、ダメだったらカナダかオーストラリアに行こう。

 

そう思って応募したら、結果は当選。

「なんだ、意外といけるんじゃん!」ってその時は思ったけど、実際渡英してワーホリビザが取れずに学生ビザできていた人もいた。何年も応募し続けても当たらずに30歳を迎える…という人もいて、こんなにすんなり通ってしまって申し訳なくなったw ※イギリスワーホリは年齢30歳までです

 

頃合いを見計らい、上司に辞めることを告げ。跡を濁さずに退社…したかったが、辞めると告げてからもちろん周りの目は厳しくなり、今までと同じように仕事をしていても「辞めるからってたるんでる」とか言われるようになったよねw

数年後の未来を見せてくれた先輩も、冷ややかだった。まぁ、そうなるよね。

 

新たな挑戦を心から応援してくれる人たちも、もちろんいた。

辞めると伝えてから態度を変えてくる人に対しては、「まぁ、辞めるからもういいんだけどね。」と思いつつ、そこから応援してくれる人たちとは縁を切らないようにして4年半勤めた会社を後にした。

 

辞めるって言った瞬間から、めっちゃ清々しかったよ!

多分常に1cmぐらい地から足が浮いてたと思うよ。

 

 

イギリス

 

霧の町ロンドンへ

ビザ申請なんか、したこともないところから色々とググってなんとか申請。

高校の頃からのチャッ友だったフランス人の友達がちょうどロンドンにいたので、彼を頼ってロンドンへ飛んだ。

 

それまで細々とチャットやSkype通話などで繋がっていて、うん年を経てまさかのロンドンで初対面を果たすとはwでも、彼のおかげで最初の住居を探すまでの宿と、他の友達もできた。他にも生活のことや、CV作成などでもお世話になった。

持つべきものは、移民の苦労を知る移民友達だ…と本当に思った。

 

ロンドンは楽しかった。今でも大好きな都市。

日本はおろか地元すら出たことがなかったし、長期で海外に滞在したこともなかったのもあり全てが刺激的だった。

今までの会社生活に疲れていたので、オフィスワークではなく体力勝負の飲食店で働いた。そこでも色んな国からきた移民たちと仲良くなった。

 

 

好きな様に生きるということ

最終的に、コーヒー大好きな私はバリスタとしてこぢんまりしたカフェで毎日好きなときにコーヒー飲みながら仕事ができる生活を手に入れたwしかもカフェなので夕方5時にはサクッと営業終了。

すきま時間で、興味のあった翻訳の仕事やSkypeで日本語を教えたりする仕事をちょこちょこと取るように。

 

ロンドンで出会った人たちは、自分の好きなように生きていた。

やっぱ、好きなように生きていいんだなって思ってホッとした。

 

イギリスワーホリ後、日本へ帰るはずもなくそのままドイツへ飛ぶ。

ドイツを選んだ理由は、日本へ一旦帰らずともビザ申請が現地でできるから。(面倒くさがり)

※ちなみにイギリスからもできます!というか、イギリスで申請する方がいろいろと簡単なのでおススメ。

 

 

ドイツ

 

ゼロからのスタート

ドイツ語ゼロ、知り合いゼロからのスタート。

ドイツ語は「グーテンターグ(こんにちは)」と「ダンケシェン(ありがとう)」しか知らない状態w

ゼロから全く知らない言語を学ぶとどのぐらいで理解できるようになるのか、という自分への実験でもありわくわくした。

 

ドイツ人の生きたドイツ語を知りたい…けど友達もいない!そして外は寒い!(渡独は暦の上では秋だったけど、ドイツは冬並みの寒さ)

ということで、語学学校が始まるまでの暇時期に、出会い系アプリで市場調査wを兼ねてドイツ人と会話を試みる。

 

ポメス氏と出会う

会話の最初は「Hallo!」から始まり「どこから来たの?」「仕事は?」など基本的な情報交換になるので、これはこれで勉強になった。チャットだと、返事するまでに単語調べたりできるからねw

ちなみにこれで、現在お付き合いしているドイツ人彼(通称ポメス氏)と出会うことになるが、なぜか彼とは最初から英語で話すという楽な道をとった私…w

 

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ぽめす
Lazyだよね。

 

 

語学学校

ドイツ語は、Volkshochschule(VHS)という市民学校へ通うことに。月~金曜の朝から昼まで毎日あり、1ヶ月1モジュールすすむ超集中コース(Intensivkurs)。

 

ちょうどシリアなどからの難民が入ってきているタイミングだったので、クラスにも難民の人たちがいた。

家族と離れ離れになった人。まだ夫が国に残っていて心配だという人。私の人生には起こったことも無い状況を聞き、心が痛んだ。中には、急にクラスに来なくなりどうしたのかと思っていると「家族が心配だからシリアへ帰った」という青年もいた。

 

クラスは、多い時は20人ほどになりパンパン。移民が多すぎて、手が回っていない状態だった。

日本人のあまりいない小さな街だったので、校内のクラスあわせても日本人は私だけ。

他は、スペイン、イタリアなどのEU勢、ロシアやウクライナなどの東欧勢、ベトナムやタイからのアジア勢、シリアやエジプトからの中東勢、そして米軍基地があることからアメリカ勢と、出身国も年代も偏ることなくうまくばらっばら。

 

それでもみんな一生懸命勉強するメンバーだったので、教え合ったり情報を共有し合ったりして打ち解けて、先生も「こんなクラスはなかなかない」と感心するほど本当に仲良しクラスになった。

 

モジュール終了ごとにクラスで持ちよりパーティーを(勝手に)開催したり、中休みに誕生日パーティーを(勝手に)開催したり、全部のモジュール終了後はアメリカ人のでかい家で家族も連れての打ち上げパーティーを開催したりと、年齢層は高かったにもかかわらず非常にノリの良いメンツだったと思う。

 

学校のジャンルは違えど、恐らく人生で一番がんばって勉強して充実した6ヶ月だった。

個人的に、クラスで上位ランク(周りからの勝手なランク付けによる)に入ったことと、モジュール1から6まで1度も休まずに皆勤したのは私だけだったことはとっても誇り。

 

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はるぼー

今までが今までなんで、ねw

 

 

 

ビザ問題

前半はドイツ語学習をメインとしていたので、ベビーシッターやカフェバイトをして、翻訳仕事などをちょろちょろ取りつつもドイツ語優先で生活していた。

 

ちなみに私のドイツでの当初の作戦は、学生ビザで入り→ワーホリビザに切り替えて仕事を探す、という流れ。

が、しかし。

 

国内でもビザを申請できるドイツで、なぜか学生ビザからワーホリビザへの切り替えができないということが判明。ギャース

もうね、このときは移民局で泣きましたよ…w(ティッシュくれたよ)

 

なんだかんだしつつもワーホリビザをなんとか取得し、ドイツ滞在を伸ばすことに成功。

しかしながら、次なる移住地はスイスへ定められる…

 

 

 

スイス

 

ポメス氏の転勤

スイスへ行った理由は、ポメス氏の転勤が理由なんですけどね。

私も語学学校が終わり、キリが良いところだったので「一緒に行ってみる?」と。

ビザうんぬんで、まぁいきなり行って就職とか無理だろうwと私は思っていましたが、とりあえず行ってみよーやってみよー!と突撃。

 

結果的に、やはりスイス定住は無理ゲーでした。ドイツ語をもう少し鍛えようかと語学学校も考えたけど、スイスって超高いのよね…

 

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ぽめす
物価はドイツの約3倍…ドイツ人としてもツラい。

 

 

スイス移住の高くて厚い壁

スイスに移住するには、スイスの大学を卒業するか、よっぽどの技術(寿司職人10年とか)がないと単独移住はむずかしいと思います。

もしくは、結婚かですね。ただ結婚したとしても、企業などへの就職はなかなか厳しいと聞きました。

 

ただ、自然豊かで治安も良く安心して住めそうなスイスは魅力的。私も、今までスイスなんか頭をかすめたこともなかったけど、しばらく住んでみると好きになりましたw

でも、物価がめちゃくちゃ高いスイス。スイス外での収入でスイスに住むには…かなり稼がないとむずかしいよね。

この頃は、特許翻訳者になるための勉強をしていて、少しずつ仕事を取れていたころ。収入もまだ不安定な状態。

 

 

ドイツへ帰ります

そんなこんなで、しばらくスイスで粘ったものの断念し、ドイツに帰ることに。

この時点での作戦は、ワーホリ→フリーランスビザへ切り替え。

ドイツではフルタイムで雇用される場合以外にも、フリーランスやアーティストなど、個人事業主が取得できるビザがあるのです。

 

ドイツに来たら、一度は行ってみたかったベルリン。都会だけど物価の安いベルリン。移民も多く、外国人の自分にとっては生活しやすいんじゃないかな、という単純な理由で移住を決める。

ただ、ドイツで難航することの1つに挙げられる住居探し。しかもスイス拠点だったので、内見にも気軽に行けず…

とりあえず内見目的で一度ベルリンに飛び、家を決めました。

ドイツでの家探し、私がオススメな方法はこちらから

 

 

起業

 

法人を設立

ベルリンに発って間もなくして、フリーランスではなく法人を設立することに。

理由としては、信頼面と税金対策が主かな。

 

会社設立とか、これまた頭をかすったこともないことだったので何回も頭爆発しながらもポメス氏の協力を得て、ちっさなスタートアップを設立。

と言っても、フリーランスが法人化したような状態なのでほぼ1人経営なんだけどw

 

 

事業主ビザの申請

ビザも、ワーホリビザから事業主ビザへなんとか切り替えして今に至る。

フリーランスと事業主ビザって違うのか?というと、基本的には同じだけど提出する書類や条件がちょっと違うって感じ。

 

 

ドイツとスイスの二拠点生活

現在、拠点はベルリンに置きつつもスイスへちょくちょく行っている、いわゆる二拠点生活をしています。

 

 

 

これからの展望?

今までも行き当たりばったりで進んできたので、これから先も割と不明…

どこに住むか、何をするかはかなりフレキシブルなので、今の時点ではなんとも言えないのが正直なところ。

 

このプロフィールを書いたのは、私みたいに病弱な子供時代でも海外に住むほどたくましく育ったり、しがないOLでもドイツで起業したりするパターンもあるんだなってことを記しておきたかったからというのもあり。

 

私は子供時代、現実的な夢って持ったことないんですよね。(ジェダイやらジャッキーの嫁やら…w)

多分だけど、ぜんそくやアトピーがあって入院してるような自分がリアリティで、大人になって健康になって何かの職業について仕事してるイメージってなかなか持てなかったのかもなって思うんです。

 

なので、そういう色々な理由で夢なき子になっちゃってる子に「こういう風になってるよ」って例として見せれたら良いなぁとも思います。なんらかの形で。

 

また、働き方革命とかなんとかって日本の働き方も変わっていっているようですが、私が働いていたような「女性社員は会社の女の子」としか扱われない会社もまだまだたくさんあると思います。

そんな会社で「なんか違う」ってくすぶってるOLにも、「そこから出るって手もある」ってことを届けれたら良いかなって。

高学歴や頭脳明晰で優秀なのに、なぜか相応しない低ポジションについている日本人女性をたくさん見たので…もったいないなと単純に思うのです。

 

あとは、これから海外進出する人たち。全面的に応援してます!

私もまだまだ新参者ですが、だからこそ新しい情報を発信できるかなっと思い、今までのいろいろな経過を綴っていきます。

有益情報は巷にあふれていますが、私は自分が経験したことしか発信しないのであくまでの一個人の経験に基づく情報として参考にしていただけると幸せます。

 

すでに色んな国でサバイバルしている海外在住の方ともお知り合いになりたいなっと思っています。(主にツイッターで絡んでいっています)その国に遊びに行った時にぜひ、会いたい。

 

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はるぼー

気軽に会える人募集!

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。(思った以上に長くなってしまったw)

公開:2018年12月8日 ベルリン自宅にてZebraheadのIn My Roomを聴きながら

 

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